「食」トリビア
しいたけは歴史薫る万能食材!大分産干ししいたけが絶品な理由
日本人が好きなきのこ類の中で1、2を争う人気なのが「しいたけ」です。しいたけは秋の食材というイメージですが、3月~5月の「春しいたけ」もまた絶品なのです。
そんなしいたけですが、実は「古い歴史」があるのはあまり知られていません。普段何気無く口にしている「しいたけ」の歴史。香ばしい焼きしいたけの香りには、煌びやかな「歴史の薫り」も含まれていたのです。
目次
「しいたけ」の歴史~日本渡来は9世紀?中国へ逆輸入された過去も
日本が誇る万能食材の1つであるしいたけ。原産地は中国やアジア熱帯地域という説があります。日本のしいたけは中国から持ち込まれたという説や古くから自生していたという説もあります。
興味深いのは、日本で採集されたしいたけが中国へ高値で輸出されていたという記録です。しいたけは栄養価が高いことからから「生薬」としても流通していました。曹洞宗の開祖である道仁が1237年の文献に残した記録を見てみると、古代中国の老僧がしいたけを乾かしているエピソードがありました。同じ文献ではキノコではなく「倭椹(わじん)」と記されており、日本を表す「倭」の文字が使われていることから、老僧が乾かしていたしいたけは日本産のものではないかともいわれていいます。
漢方薬発祥の地で日本のしいたけが貴重な生薬になっているのには、ロマンを感じますね。
高級食材だった「しいたけ」は将軍への貢物だった?
日本のしいたけはプリプリとした食感や上品なお香のような食欲をそそる香りが特徴です。しいたけは古くから日本人好みのキノコであったことが歴史上の文献からも読み取れます。
現在では高級キノコといえば「松茸」が有名です。戦国時代前期である室町時代には、当時の足利将軍に「貢物」としてしいたけが献上されたという記録も残っています。自生しているものを採取するしいたけはその希少価値からも松茸以上に重宝されていたのです。
しいたけを高級食材として賓客への献上料理に振舞われた記録も残っています。記録として残っている献上料理や貴賓への料理を見てみましょう。
- 1588年、豊臣秀吉が後陽成天皇の行幸を仰いだ時
- 1591年、秀吉が名護屋布陣中、博多の貿易商から招かれた時
- 1593年、徳川家康が名護屋で茶会を開いた時の懐石料理
- 1595年、秀吉が前田利家邸に招かれた時
- 1626年、徳川家光が二条城に後水之尾天皇の行幸を仰いだ時
- 1682年、徳川綱吉による朝鮮通信使供応の時
- 1740年、徳川吉宗が勅使を招いた時
- 1811年、徳川家斉が勅使を接待した際
学校の教科書に載るような著名な大名や将軍たちが、歴史上重要な節目にしいたけを食材として使っていたのです。
江戸時代の「しいたけ」栽培は当たれば天国外せば地獄
今ではスーパーに行けば簡単に手に入れられるしいたけですが、それは「栽培方法」が確立されているからです。昔は自生しているしいたけを採取していたため、現代のように安定した供給ができていませんでした。半原木栽培といわれる人工的なしいたけ栽培が始まったのは江戸時代からです。
半原木栽培とは、木に傷をつけ、そこにしいたけが生えてくるのを「ただひたすら待つ」という一種の博打的な栽培方法が主流でした。なぜ博打なのかというと、現在の菌床栽培はしいたけの「胞子」を使っていますが、当時は「胞子」という概念も無く、原木にしいたけの胞子が付着することすら解明されていなかったのです。手当たり次第に原木を傷つけて、しいたけの胞子を自然に付着させるには相当数の木、つまり土地や山が必要になります。
高価だったしいたけを栽培できれば巨額の富を得られましたが、栽培できなければ傷物の木が生い茂る森林しか手元に残らなくなってしまうのです。
天国と地獄。
まさにしいたけを栽培するためのギャンブルが行われていたのです。
確立された現代のしいたけ栽培
20世紀初頭の明治時代後期から徐々に現在の栽培方法の1つである「原木栽培」が普及されました。「ただひたすらしいたけを待つ」だけの半原木栽培とは違い、しいたけの胞子を原木に付着させる栽培方法です。しかし栽培する場所によっては湿度などの問題もあったため、原木栽培では主に「乾燥用」のしいたけを作っていました。
現在の菌床栽培が始まったのは、高度経済成長期の昭和中期です。元々は日本国外原産の食材だったしいたけが、日本の特産品として生まれ変わったのもこの時期です。現代の日本で流通しているしいたけの約85%は「菌床栽培」のもの。
菌床栽培はおがくずなどで人工的に作られた「菌床」にしいたけの胞子を着床させて栽培する方法です。基本的に屋内で栽培されることが多く、室温の管理次第では屋外よりも安定した量を栽培できるのです。屋内だと栽培条件が同じになるため、しいたけの形も揃いやすく、店頭販売に向いているというメリットもあります。
屋外で栽培する原木栽培は、自然の天候に生育が左右されます。栽培日数が長くなるデメリットもありますが、菌床栽培よりも味や香りの質が高く、現在では原木栽培のしいたけの方が高値で取引されているのです。
大分県が「干ししいたけ」生産量日本一の理由
大分県が干ししいたけ生産量日本一なのは、原木栽培の原木である「クヌギ」が多く自生していることが一番の理由です。
人工栽培が始まった地区には諸説ありますが、しいたけ生産量日本一県でもある「大分県」(※当時の名称は豊後の国)という説が有力です。大分県にはしいたけの専門店やしいたけのみを栽培する専業農家さんが多いのは、こうした歴史上の観点も影響しています。
大分県の栽培方法は、菌床栽培と原木栽培の両方を取っていますが、有名なのは「原木しいたけ」です。原木栽培で生育されるしいたけは味、香りの質が菌床栽培に比べても良質であるというお話をしました。これには、大分県の森林環境が大きな影響を与えています。
品評会でも認められた大分県産干ししいたけ!
大分県産の干ししいたけは生産量だけではなく、質に関してもすぐれています。全国の乾しいたけが集められて専門家から順位をつけられる「全国乾椎茸品評会」では、大分県が団体の部で21年連続優勝、53回の優勝数を誇ります。
個人の部では5部門中3部門で最高賞となる農林水産大臣賞、林野庁長官賞(1等)を10名が受賞するなど、大分県のしいたけ農家さんたちがいかに優れているかわかりますね。
世界に羽ばたく逸品食材「Shiitake」
しいたけは「Shiitake」として海外でも栽培されています。英語圏であるアメリカやイギリス、食の都フランスでも「Shiitake」として販売されており、大手スーパーマーケットでは、日本のスーパーと同じようにパック詰めされて流通しているのだとか。
ブラジルやフィンランド、オランダなど世界各国で「Shiitake」の栽培が始まっています。幸せの国「ブータン」では、日本人農業指導者である「西岡京治氏」がしいたけを持ち込み、現在ではブータン国内で広く普及しているそうです。
日本に輸入されて、日本で改良されたしいたけが全世界に飛び立つ。まさに歴史ロマンあふれる「逸品食材」なのです!